左近がその青年と出会ったのは、偶然とも必然とも言いがたい奇縁のようなものなのかもしれない。
左近は青年をはかりかねている。青年と『出会った』という言葉を使うのも奇妙であり、青年をどう認識したらいいのか、生憎と現実主義を自負している左近はその方法を知らなかった。
青年は蒲葡(えびぞめ)の肩衣と黒の小袖、肩衣と同じ色の袴を身に着けている。肩衣は袴に入れず、しまりなく揺れている。
そのだらしない出で立ちからして関ヶ原西軍の残党をいぶる軍に属す武士でも軍師でもない。だが、格好だけをとると曲がりなりにも武士である。考えられることは、この近辺にある小大名の次男あるいは三男坊以下云々だ。
だが、それすらも首をかしげたくなることに、青年は草履すら履いてなく、白磁のごとき色素の無い肌をむき出しにしていた。その足はひどく美しい。人間ならば誰でも木枯らしの吹き荒れる中、差はあれど少なからずつま先が赤らんだり鳥肌がたつものだ。しかし青年の足はそれこそ、温度の感じられない作り物のようなものだった。
なにより左近が青年を目前に一言も発することができないのは、青年の面貌が処刑されたはずの主・石田三成に酷似していたからである。
否、酷似ではなく、まったく同様の顔立ちと言っても差し支えはないほど全てが同じだった。美しい下弦の月のような細めの眉、生前の強い意志は感じられないが鋭い切れ長の瞳、南蛮の者のように通った鼻、締まった薄い唇、細身の輪郭。なにもかもが同一のもののように、左近には思えたのだ。
微動だにできずにいる左近に、青年は一言、
「お前、けしからんやつだな」
とだけ言った。
語る言葉をも失い、呆然と青年を見つめていた左近だったが、青年の一言でようやく我に返る。
それから左近は鈍い動きの頭を必死に働かせ、青年の言葉を咀嚼する。
「――と、の」
やっとのことで搾り出せたのはこの一言だけだ。
左近はそれっきり黙り、言葉を探すように表情を変えるが青年からは目を離さない。
それに対する青年の返答はなんとも素っ気ないものである。
「トノ? それがこれの名前か?」
その問いの意味がわからず、左近は青年が現れたときのことを瞬時に反芻する。
左近が大刀を掲げ、歩み始めて一刻もしないうちに、年季の入った大木の一番地に近い枝で青年はくつろいでいた。左近は一瞥もせずに通り過ぎようとしたのだが、青年が声をかけてきた。
『おっさん、どこへ行くつもりだ』
それを聞いた途端、左近ははじけるように顔を上げた。その声はかつての主・石田三成とひどく似ていたからである。
初めて会う人間に対するにしては少し語調が厳しすぎる。瞬時のうちにそう考えた左近は、三成が本当にそこにいるのではないかという期待をわずかに抱いた。
枝から身軽に飛び降りた青年は、軽やかな歩みで左近に近寄り無遠慮にその風体を眺め、眉間に深いしわを携え、左近に先ほどのけしからんという言葉を告げた。
左近が青年を判断しかねるのはこういった突飛な出会いであることと、青年の姿かたちに理由があるのだ。
それらを思い出し、左近は想像できうる限り青年の正体を考える。
『殿』と呼びかければ青年はすっとぼけた答えを返してくる。つまりそれは左近の知る主ではないという可能性を示唆している。それならば他人の空似と簡単に片付く問題であろうが、今の左近にはそのような余裕など微塵もなかった。主と同じ顔、声、体つきの人間が自分を知らないかのように扱う。それだけで左近は言いようのない焦りを感じている。
問いかけたきり、黙って返事もせず凝視する左近に痺れをきらした青年は、左近に近寄り左近の手の大刀を取り上げた。
「な、なにを」
「うっさい、お前ごときにこの刀を扱う資格はないのだ」
青年の語調は、左近の知る主とは似ても似つかないものである。また、青年の行動も左近には理解しがたかった。主の行動はたいていが裏づけされた理性的な義というものがあり、予想しやすいものであった。しかしこの青年の行動は、とても理性的とは言いがたく、感情的にすら見える。
左近は青年が主ではないと予感しながらも、主が生きていたらという希望も根強くそれらは拮抗している。
「俺は刀の霊。最近に日ノ本、近江地方という担当になり、この刀に世話になっている」
「……ええ、と」
それが当然であるという微塵の揺らぎもない声音に左近は顔をしかめ、ゆっくりと重い曇天を見上げる。
手を伸ばせはねずみ色の雲に手が届きそうである。冷たい風が吹き荒れ、枯れ葉がひらりと舞い落ちる。鴉が険しい声で鳴き、羽根を落としながら飛び立つ。
重い雲は目に見えて流れてゆく。それをひとしきり見つめた左近は青年に視線を戻した。
「とりあえずお引取り願っても」
「そうするところだ。この刀はもっといい持ち主に贈ることにする」
「いや、それは返してもらいたい」
「なに都合のいいことを言っているのだ。俺の話を聞いていたのか? 俺はこの刀の霊で、お前を持ち主にふさわしくないとした。だから没収だ」
左近は言葉を失った。主に似て、目に見えない霊的なものは信じていない左近にとって青年の言葉はあまりに突飛すぎた。
時運も含め、自らの力で得たものこそが宝である。そう考える左近は熱心に宗教に打ち込むような人間ではなく、天主(デウス)や仏などという概念はさほど身に馴染んでいない。また、亡き主のように基督教や儒学に進んで手を伸ばしたこともない。もちろん左近には八百万の神という意識はほぼ皆無と言っていい。青年の『刀の霊』という言葉は少なからず左近に衝撃を与えた。青年の言葉を全て信じているわけではない。物に霊が宿るという考え方そのものに駭然として目を見開いただけである。
驚きはすれど、左近はそう簡単に自分を手折る人間ではない。無論、主のように融通が利かないとまではいかないが、否、むしろ下の者の言葉ですらも真摯に受け止める人間ではあるが、己の芯というものをはっきりと自覚しているから多勢に流されることがない。そういった融通が利かないとはまた違う頑固さを持ち合わせている。
まして、目の前にいるのは身元の知れない主と同じ姿の青年である。どのように口説かれたとしても彼は耳を傾けないだろう。
「ばかばかしい。新手の山賊かなにかか。それを返せ。俺の邪魔をする人間は、たとえどんな面をしていようと許さない」
「この面が気に入らないのか?」
そう言うなり青年は、手のひらを自分の顔にかざし、パッとそれを除ける。すると青年の顔は左近とまったく同じ顔となっていた。
左近は目を見開き、息を詰まらせた。紡ぐ言葉を失い、ただひたすらにこみ上げる嘔吐感を呑み込む。目の前に自分の顔があるからなのか、それとも青年の存在に純粋な恐怖を抱いたからなのか、左近にはわからなかった。
青年はまた顔に手のひらをかざし、主の顔に戻す。
「おかしいな。お前はにはこの面が効果的だと思っていたのだがな?」
左近の握った拳には血が滲む。
その言葉は主を侮辱されたものだと彼は受け取った。どの出身の者で、なぜ主と自分を知っているのかと考える以前に感情が先走る。
「消えろ、消えてしまえ! 死してなお殿を侮辱する人間など、消えてしまえ。我が主の生き様に羞辱を与える者は、俺が殺してやる」
鬼の左近とまで呼ばれ恐れられた人間にふさわしい怒気に満ちている。だが、その言動はあまりに稚拙な表現だった。
そのすさまじい激情に煽られながらも、青年はなんとも思った様子がない。
「それが気に入らないというのだよ」
「俺も、お前のことを好きになれそうにないね」
お互いに、心底軽蔑する視線を投げあった。
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