「おんやまあ、こりゃ、随分とおとなしくなったものだ」
「左近、か」


関ヶ原の山頂から平野を見下ろしていると、左近のからかうような声が聞こえてきた。
骸を漁る人間たちが蠢いている。死してなお、人間は人間に陵辱されつづける。飛び立つ心があっても、肉体は追いつかない。精神に取り残された肉体は恰好の餌食となる。


「お久しぶりです、っと」
「久しいな。お前も死んだのか?」
「ええ、まあ。そんなとこです」
「亡骸が見つからないと聞いていたのだがな。やはり死んでしまったか」


左近をもし、俺が抑制していなかったならばこのような最後にはなりえなかっただろう。左近だけではなく、この戦で死んだ者たち全てが。彼らの精神と肉体が限りなく連動していたならば、死はなかったのかもしれぬ。
俺の隣に歩み寄った左近は、同じように平野を見下ろしている。目の上に手のひらをかざし、なにが楽しいのか感心したような声ばかりもらしている。


「なんですかねえ、その顔は」
「ふ……、お前が言う『きれいな顔』だぞ」
「きれいですけれどもねえ、表情の問題です。とても、後悔してらっしゃる顔だ。おかしいですねえ。後悔なんてするくらいなら、なぜ戦など起こされた」
「後悔?……ある種、後悔しているのかもしれないな。しかし、それは冒涜となる。後悔ではなく、懺悔だ」
「同じこと」


責める口調ではない。幼子に言い聞かせるように、甘く優しい。その語調に俺はひどく後悔してしまいそうになるということに、この男は気付いていないのだろうか。


「後悔、というが。お前は俺が後悔なんぞをするような男だと思っているのか?」
「いーえ」
「俺も、後悔をしていると思われることは心外だ」
「だが、あなたは後悔したい」
「そのようなことはない」
「いいや、殿は明確に後悔し、懺悔したいと思っている」


それも、責める口調ではなかった。ただ事実を突きつけるだけの言葉だ。
それだけでは、足りない。


「俺がそうと思っている根拠は?」
「……泣きそうな顔をしているからですよ」
「俺は泣いてなどいなし、泣きたくもない。お前の目の錯覚だ」
「あなたは一度、自分の表情を見てみるといいですよ」
「お前の言葉は、感情的すぎる」


自分の表情など見たくもない(それが現実であると認識したくない)。
左近にしては珍しく、感情論のような言葉だ。根拠に表情という、十人十色の捉え方があるものを持ち出すことなど愚かだ。左近も自らの死に感傷的な気持ちになっているとでもいうのだろうか。だとしても、それを俺に押し付けるのはお門違いだ。


「表情なんて、人によって受け取り方が違う。単なる妄想だ……、そう考えてらっしゃるでしょう」
「……」
「何年、殿にお仕えしてきたと思っているのです? 殿の微細な表情の変化を、何度見続けてきていたと? 今回の表情はあからさますぎて、考える理由も必要ありません」
「……」
「後悔や懺悔は、殿の理想を信じ、戦っていった者への冒涜であるかもしれません。ですが、殿は人間だ。完璧なほどに潔癖な人間などおりませんよ。後悔し懺悔する心を殺したところで、誰もあなたを褒めない。たしかに、蔑まれることもないでしょう。しかし、偽りの姿で、人心を掴めるとでも? 殿の後悔、懺悔を押し殺すことは単なる自己満足ですよ。潔癖である自分に酔うようなものです」
「……だが、俺は本当に、後悔や懺悔などしては、誰も報われないと思って」
「あなたに、誰かを報う力があるのですか?」


その言葉が全てを表していた。
俺はたった一人の人間だ。その俺に誰かを「報う」だとか「守る」「救う」などという力など、無いに等しいのだ。自分ばかり見ていて、その力を過信していたのだ。
潔癖であろうとした俺は、とっくに崩壊していたというのに、まだ自分にすがりついている。利に義で対抗しようとしていたのに、俺もまた、利で人を引き寄せていた。俺は義を守り通すことができなかったのだ。その俺に、誰に報いることができるか。豊臣の天下を守ると秀吉様に誓って、左近にだって報いようと言ったのに、この結末だ。誰にも、なにも報いることができなかったのだ。


「殿が泣く理由は、自らの起こした戦で多くの人を死なせてしまったから。後悔や懺悔などではなく、純粋な喪失感により、泣く。……殿には、こう言ったほうがいいのかもしれませんね」
「……根拠」
「根拠根拠って、そんなに大切なものですか? なんですか、なら殿は『俺には笑う根拠があるから笑う』なんて考えて笑っているのですか?」
「そんなことはない」
「喜怒哀楽すべて、そうなんですよ。だから殿は後悔も懺悔もしていい、泣いてもかまわない」
「……俺は、泣きたくない」
「いいんですよ、それでも。ただ、泣きたいのに泣かないなんてやせ我慢は、愚かだって話なのですから」


精神と肉体が連動しない。いや、もはや俺は精神のみの存在であるのだろうから、思念と精神、とでもいうのだろうか。それすらも連動しない。
誰もが精神と肉体の連動がうまくいってなかった。逃げ出したいという気持ちがあったはずなのに、戦ったのだ。飛び立つ心、それは本当に飛び立つことではなく、ただ目の前の現実と戦うことなのかもしれない(結局は、想像でしかない)。


「左近はいつも、俺にとっての真理を与えてくる」
「真理? そんな大それたものじゃないですよ。ただ、殿が素直ではないだけです」
「それでも、何度救われたかわからない」
「ただ素直になれただけですよ」
「お前のことは本当に信頼していたのだ。……しかし、お前にとって俺は信頼に足る男ではない。報いると言ったのに、結局俺はお前を死なせてしまった男だ」
「あー、ちょ、ちょっとまった」
「なんだ」
「なんですか、それ。過去形じゃないですか。『お前のことは本当に信頼している』じゃないんですかあ? それに、報いるだとか報いなかったとか、そんなこだわることじゃないですって。俺は別に城が欲しかったわけでもなし。ただ、殿の理想に徹する姿に惚れて、その手伝いをしたかっただけなんですから。そんなこと言われちまったら、本当に報われなくなっちまいますよ?」


茶化す声音が、普段の左近となんら変わらない。その声音がとても安心できて、同時に、深い哀しみを自覚する。愚かであることはわかっているつもりだが、感情を制御することはできない。


「時代は変わる。人も変わる。だから俺も、殿だって不変であることはありえないのですよ」




禽練磨







08/25
「三成はなんだかんだと文句を言いながら左近を信頼している話/真面目な殿/シリアスあるいはほのぼの」(朧さま)