(パピーポチ番外)

 トノとの生活はまあうまくいっていると言ってもいいだろう。毎日散歩に連れて行ってくれるし、メシも手作りらしく美味い。まあ、屋内で飼われていること以外は特に不満もない。
 俺の生活はいたってシンプルなものだ。
 まず朝だ。トノは絶対に自分の寝床に俺を連れて行かない。だから俺は広い部屋のソファで眠っている。たいていは、トノが起きてきたときにその物音で目が覚める。トノの寝起きは悪いので、うっかり足元をウロチョロしたら蹴られる(寝ぼけていて俺に気付かないようだ)。
 あまり朝が得意ではないらしいトノは朝メシを抜くことが多い。それでも台所に立つのは俺のメシを作るためだ。

「おい、自分のメシを作れ」
「……引っ張るなポチ。もう出来る」

 裾を引っ張ると、トノは俺のメシを皿に盛って床に置く。だからテメエのメシを作れって言ってんのに。まあ結局言葉が通じないので俺は大人しく自分のメシを食う。
 それから朝の散歩だ。
 これは目覚ましに行くようなものらしく、まだトノは寝ぼけている。フラフラしているトノを引っ張るのも悪いが、楽しみは散歩くらいなものなのでここは譲れない。たまに怒ったように綱を引っ張るが、そんなものは知らない。
 散歩に連れて行かれるようになって知ったのだが、うちのトノは若い。散歩中にいろんな犬と飼い主を見るが、どの飼い主もシワクチャだ。それでもってトノになにか話しかけている。トノは寝ぼけているし面倒なのか適当に答えているようだ。

「よ、今日も会ったな」

 と、散歩で知り合った犬によく話しかけられる。彼らは世間話を望んでいるらしい。そのほとんどが飼い主の自慢か、飼い主の愚痴だ。あーあ、飼い犬って本当、楽しみがない。飼い主のことくらいしか話すことがねえんだ。俺がノラだったときはもっとスリルと冒険に満ち溢れた楽しいものだった。が、今や俺も飼い犬だ。話すことは飼い主のトノのことくらいしかない。
 家に帰るころにはトノもスッキリしているのか、動きがキビキビしている。これで、仕事があるときは準備をしてさっさと行っちまって、俺の心底退屈な昼間が始まるわけだが、今日は休みの日らしい。
 それでもってトノは薄くて四角い機械をいじり始める。これが始まると、邪魔をしたらとんでもなく叱られる。身をもって体験したことだ。間違いない。
 それから俺はひたすら暇で、ほとんど寝ている。この家も探検しつくしたし、興味もない。それに、寝ているとたまにトノがかまいにやってくる。……なんて思っている間にトノがやってきた。
 トノは友達ってやつがいないのだろうか。人間の友達ってやつは休日になれば遊んだり、ケータイっつう四角い箱で連絡取り合ったりするもんだと聞いている。それでもって、親しいのが友達だ。トノがケータイで連絡を取っているのを何度か聞いたことがある。言葉は理解できんがどんな感情かは声でわかるものだ。親しいものは感じられん。そういえば人間は仕事っつうのをしてるんだったな。多分仕事の連絡だろう。
 そんなトノは、会話なんてできるわけもないのに俺に話しかけてくる。

「タコスケー、タコ、タコ、タコタコタコ」

 トノは機嫌が悪いとき、元気がないとき、落ち込んでいるとき、少し幅は広すぎだが、こういう気分のときトノはこの言葉を投げかけてくる。言葉の意味はわからないが、こういうときは励ましてやるもんだ、と昔聞いたことがある。
 そういうわけで、俺はこの言葉を聞いたらトノに励ましの気持ちをこめて鼻の頭を舐めてやる。俺はなんて素晴らしい犬なんだ!

「そうか、お前はタコか」

 こうすると、トノはなんとなく元気になる。たまに笑ったりもする。これがアレだ。噂の等価交換ってやつだ。俺はトノに衣食住を与えられ、俺は癒しになる。素晴らしいサイクルだ。
 だが、少し腹が立つのはなぜだろうか。
 少し元気が出たらしいトノはそれからまた四角い機械をいじりはじめる。そして俺は寝る。
 夢に見たのは、トノに飼われる少し前、ベビーシッターのご要望があってあやしていたネコのことだった。あいつは元気に育っているだろうか。人間にいじめられちゃいないだろうか。
 人間には新聞っつう情報源がある。それと同じように、俺たちにも独自の情報網がある。とはいえ、たいしたものではない。ただの井戸端会議みたいなものだ。しかし情報量は多い。随分遠い地の話なんかもよく聞くことができる。最近は少し減ったが、人間が動物をいじめたり、逆に動物が人間を襲ったり、というニュースを頻繁に聞く。あいつはそんなことに巻き込まれていないだろうかな。
 少しだけノラのときのことが懐かしく思えた。
 確かに食いはぐれることはないし、温度も快適だ。トノは俺を悪いようには扱わないしメシも悪くない。だが少し、退屈だ。
 寝ているのか起きているのか、少し曖昧なところをウロウロしていたが、鼻の頭に突然衝撃を与えられ、俺は覚醒した。
 一体なにが起きたんだと見回すと、コロコロと転がる小さなボールを発見した。
 トノは非常に几帳面で、床に物が転がっているなんてことは滅多にない。第一、人間の大人がボールで遊ぶなんて聞かない。
 理解できなかったのでそいつに近寄らず、じっと見つめていたのだが、トノがそいつを拾い上げて首をかしげた。

「そうか。お前はボール遊びが気に入らなかったか」

 なにを言っているのかはわからないが、少し残念そうだった。なにを残念がっているのか、思い当たる節はない。
 トノは俺に、これみよがしにボールを見せつけ、ポイッと放り投げた。
 なにがしたいんだ(散らかしたいのか)。
 不思議に思ってトノを見たら、トノも俺を見ていた。一体なんなんだと思ったが、トノガちらちらボールを見ていることに気付き、なるほどと思った。トノはボールを拾ってきて欲しいんだな。なら投げなきゃいいとは思ったが、俺はボールを拾いに行った。
 ボールは緑色で、小さな穴が一つある。犬は人間のように器用に手を使えるわけではないので、ボールをくわえようとアゴに力を入れた。その瞬間、ボールがヒュー、と変な音を立てやがった。
 あまりにビックリしたので、後ずさってしまった。
 トノが珍しく笑っていたので、俺はなにがなんだかサッパリわからなかった。
 それからしばらくその不思議なボールを投げられてビビって逃げ回った。そのあとはいつものように、夕方の散歩に行って、メシ食って、寝た。







01/26
(パピーポチの続編)