「じゃあ左近、悪いけどよろしく頼んだよ」
「すまんのう、五日だけじゃから」

 少なくとも、お隣の豊臣さん夫妻は悪い人たちではない。むしろ、しょっちゅう色々なものをくれるいい人である。そして仲も良くたまにノロケられてしまうがそこそこ空気も読む人たちだし、ユーモアの溢れる二人だから近所付き合いもいい。その二人の子供である三成さんは、ちょっと愛想が足りないけれど頭がよく礼儀正しい。
 どこから見ても非の打ち所のない素敵な家族であった。
 だが、一つだけ残念なことがある。本当に一つだけだ。
 この夫妻、なぜかクジ運がとても良い。そのせいか商店街の福引でしょっちゅう旅行が当たってしまうのだ。しかも商店街の福引のくせに、『二名様』限定なのだ。つまり、必然的に子供の三成さんがあまってしまう。
 そういうときにお隣さんである俺が、世話役を頼まれるのだ(三成さんが俺によく懐いているのも理由のひとつだ)。
 そういうわけで、豊臣さん夫妻は今回、オーストラリアにはるばる旅立ったのだ。お土産にコアラを買ってきてくれるだろうか。
 お隣のちょっとマセた子供の三成さんは嫌いじゃない。むしろかわいらしくて好きだ。なんて言ったって俺を嫁にするだとかとち狂ったかのようなことを豪語するような子だ。あらゆる意味で将来が楽しみである。
 インターフォンを鳴らして少し待てば、なんとも例えがたい服装(あえて何かに例えるのならばタルタルソース)の三成さんがひょっこりと顔を出した。
 一つ思い出し忘れていた。三成さんは私服のセンスが壊滅しているらしい。

「ああ、左近か。俺は今困っていることはない。困ったことがあったら電話するから来るな」

 久しぶりにお隣のお兄ちゃん(嫁)の顔を見たって言うのに、顔色ひとつ変えずにバタンとにべもなくドアを閉めた三成さんのことを俺は嫌いではない。
 しかし、こう言われて引き下がったら俺は五日間結局この家に来ることはなくなるだろう。困ったことがあったら電話すると言われて電話がかかってきたことなど一度もないからだ。
 もう一度インターフォンを鳴らすと、そっけなく「新聞は間に合っている」という声が聞こえてくる。

「新聞じゃありません。左近です」
「左近もどちらかと言えば間に合っている」

 一体どこで俺を補給しているって言うんだ。
 なんて思いはしたものの、この調子じゃ正当な手段ではお邪魔できそうにない。そこで俺は考えた。




「そして、考えた結果がこれか」
「はい」

 大人びた口ぶりや仕草だが、まだほんの小学生である。
 お隣さんであるという利点を最大限に活かし、俺は自分の家の部屋の三成さんの部屋に面している窓から三成さんに呼びかけ、ようやく家の中に入れてもらえることができた。
 少しあきれているらしい。子供らしかぬ態度にちょっとカチンと来る大人もたまにいるようだが、俺はもう慣れっこなので問題はない。

「まあ丁度いい。左近、わからない勉強があった。わかりやすく説明しろ」
「はいはい、なんですか?」
「理科だ。細胞について」
「え、今の小学校ってそんなことやってるんですか」

 俺の記憶では、中学生になってからだったと思うんだが。小学生の理科なんてたいして覚えちゃいないが、おしべとめしべとか花粉がどうこうくらいしかやった記憶がない気がする。
 三成さんは少し機嫌を悪くしたのか、唇をとがらせた。

「違う。この間、お前の部屋にあった教科書を見た」
「……いつの間に忍び込んだんですね?」
「入っちゃダメとは言われていなかったからな」

 そんな、濡れた子猫を電子レンジで暖めて爆発したときに「猫を暖めてはダメだなんて書いていなかった」って抗議するような論法で言われても困る。

「普通は、他の人の家に不法侵入してはいけないのですが」
「不法? 窓の鍵はかかっていなかったから合法だろう」

 ああ言えばこう言う。
 これが三成さんっていう人の一部である。だが嫌いではない。
 しかし今はそんなことを問題にしているわけではない。勉強を教えてくれと頼られているのだ。しっかり年長者らしくあざやかに勉強を教え、少しは敬う気持ちを持たせなくては。

「まあいいです。で、なにがわからないんですか」
「なぜ、デオキシリボ核酸は二重らせん構造になっているのだ」
「知りません」

 だいたいなんだ、その、ネオキシリボカクサンとかいうのは。寝起き? 尻? そんなの、俺はやった記憶がない。
 多分、時間がなくてそこまで勉強しなかったのだろう、俺のときは。だからわからないし、やったとしてもそんなややこしい名前の酸など覚えているものか。

「……つかえん」
「で、そのネオキシリボカクサンってなんですか」
「デオキシリボ核酸だ」
「あーはい、それそれ」
「……簡単に言えばDNAらしいが」

 ああ、DNAね。DNA。そういえばテレビで見るときはいつもらせん状だ。理由なんて考えたこともない。そんなの、生物学者だって明確に答えられるかどうか。だって、見つけたときにはそういう形をしていたんだろう?
 これはもはや哲学じゃないか。なぜ遺伝子情報はらせんなのか、って具合に。

「なんでわざわざ難しいほうの名前で言うんですか」
「正式名称だから」
「ああそうですねすみません無知で」
「怒ったのか?」
「怒りませんよ、別に」

 頭が良すぎるのもまた難しいことだ。
 最近の傾向として子供は勉強をあまり好かないことが多いようだが、この子はむしろ好きらしい。もはや本の虫である。そしてそれをきちんと覚え、理解できるまで何度も何度も繰り返し読み続けるのだから、熱心すぎるほど熱心。
 しかし、まさか、DNAの構成物質なんかも覚えてしまっているのだろうか。だとしたらなんと末恐ろしい子。

「さすがにこれは難しい。DNAというのも遺伝子情報ということくらいしかまだ知らん。とりあえず、疑問に思ったことから調べているのだが、この二重らせんの謎が解けん」

 ああ、なんだ。彼にもやっぱり難しいんだ。
 そりゃそうだ。だって、きっと、まだ高校生の理科だって勉強していないだろう。順序を踏んで勉強しなくちゃ理解できるものも理解できやしないのだ。いきなりDNAってなんだ? って調べたって、うまくいくはずないよな。

「まあ、物事は順序ってものがありますし。とりあえず、おしべとめしべからはじめますかね?」
「それは知ってる」
「じゃあ、単細胞生物と多細胞生物から」
「それも知ってる」
「……動物の細胞と植物の細胞の違いから」
「覚えた」
「……えーと、メンデルの法則」
「それは知らんな」
「ああ、これは知らないのですか。これは遺伝の法則のことですし、もしかしたらDNAに繋がるかもしれませんよ」
「よし、勉強する」

 ちなみに、俺は生物があまり得意ではなかったのでここまでしかほとんど記憶にない。メンデルの法則だって名前しか覚えていないから、内容はさっぱりだ。三つくらい法則があったと思うんだが……どうでもいい。
 とりあえず、三成さんの情報処理能力が不思議でならない左近でした。







01/07
(学パロの三成さんが子供の頃、左近青年が三成さん家にお邪魔する)
生物は好きです。