「左近、ソバ、食べぬのか? なら俺が食うぞ」

 今年も色々なことがあった。ともかく色々だ。太閤殿下がお亡くなりになったと思ったら、殿がよくわからないけどとにかく殿ではない誰かであったり、理解できないけれどともかく理解した気分になって笑っているうちに解決していたり、殿の家康に対する狂暴な罵詈雑言を右から左に受け流したり、朝鮮撤兵に心血を注いだり、耳だとか尻尾がどうだとか。……そうだ、耳だとか尻尾だとか。
 耳だとか、尻尾だとか。殿がちょっと頭が足りなさそうでなんとなく守ってあげたいような甘えんぼうっぽい雰囲気でなんか意味もわからず口論したと思ったらなぜか同じことを何度か繰り返しているらしいという。ああだめだ。今はちょっと考えたくない。

「食わんならもらうぞ。あぶらあげ」

 俺の手の中にあるソバがこんもりと盛られた器からあぶらあげがひょいと姿を消す。そいつを宙にぷらぷらと揺らし、息を吹きかけて冷めるのをじっと待つ殿の尻からは、尾がある。尾だ。頭には獣の耳が、ちょん、と二つ。
 そういえば殿は一時期、尾と耳がないと騒いで尾と耳がある世界がどうとか言って世界は何度か繰り返されていてそもそも現実世界は俺たちが想像も出来ないほど実は未来にあって文明がどうとかでともかくこの世界があるとかなんとか言っていた。ああ、言っていた!
 どうでもいいわけではないが、殿ももうその話はしなかったし俺もさして興味があったわけではなかったので普通に半分くらい忘れていた。

「あづっ。……やっぱり加熱物は難しいな」
「はあ……その、なら、最初から冷えたものにすれば……」
「ばかもの! 寒いから暖かいものを食うのだ。寒いときに冷たいものを食って何が楽しいのだ」

 尾が怒ったようにバンバンと畳を叩き、俺に風を送ってくる。
 全体的に理解ができなかったが、ともかく、あの耳は触ってみたい。人にああいう耳が生えているのって見たことがない。なんとなくとてもおもしろそうな気はする。
 なにを考えているんだ、俺は。混乱からか少し思考回路が道を踏み外してしまったらしい。頭を掻こうと手をやったときに、なにかが触れた。その触れたものは、毛深い。いや頭だし毛深くて結構。毛深いほうが嬉しいくらいだが、違う。触れたものは、動いている。俺の頭に、動く毛深いなにかがある。

「殿」
「なんだ?」
「左近の頭に、なにが見えますか?」
「……毛?」
「もっと」
「つむじ」
「もう少し」
「……あ、ハゲがある」
「嘘!」
「本当だ」

 まさかもうハゲが出てくる年だったなんて、知らなかった。知りたくなかった。まだ俺は大丈夫、なんて余裕はなかったのか。

「いやハゲはこの際置いておきましょう。他になにがありますか」
「他と言っても……。いつも通り、毛だとかつむじだとか分け目だとか耳とか」
「耳! 耳があるんですね、頭に!」
「あ、ああ。ある。それがなにか変か?」
「変ですよ!」
「そうか?」

 殿はハシをくわえて俺の耳を両手を掴んだ。その瞬間、言い様のない感覚が背筋を這った。
 殿の手は俺の頭上である。つまり、俺の耳は頭上についている。すなわち、耳だ。獣の耳とかがある世界とやらなのだ。ここは。

「耳のなにがおかしいのだ。変な左近だな」
「おあっ、ちょ、殿、あの、気色悪いんで、あの、耳から手を離していただけませんかね!」
「気色悪い? 変なことを言うな。ほらほら」
「ぎゃー!」

 出来れば、のたうち回って壁に頭をぶつけたい。このおぞましさに勝る痛感が欲しい。決してそういう趣味ではない。ただ、このおぞましさを忘れるには痛みが一番だと思う。
 腐っても殿なので突き飛ばすわけにもいかない。足腰は恐怖に竦んだように力が入らない。視界に入る殿の尾が楽しそうに左右に揺れているのを見ていたら目も回ってきた。

「わ、ちょ……、もうやめてくださいってば! 怒りますよ!」






「……っくしゅ!」
「わ」

 いつの間に俺は眠っていたのか、ともかく俺は目を覚ましたらしい。体の具合から見て、結構長い間寝ていたようだ。

「左近、起きたか」
「……あれ、殿」

 殿、殿といえば、ついさっきまで耳を異様に弄ばれて辱められたような気がしてきた。いや、気がしたではなくて確かにあった。そしてどういうわけか俺は寝てしまったようだ。
 ふと、頬を撫でる風がやたらに冷たく感じ、辺りを見回してようやく気が付いた。ここは外だ。寝る前までは屋内にいたはずだったのだが。

「こんなところで居眠りとは、自分の年を少しは考えたらどうだ」

 殿の憎まれ口は平素のことで慣れたものだった。しかし、俺はこんなところで寝た記憶は、いや、ある。あるが、それはおとといの話だったような気がする。意味がわからない。俺はおとといからずっとこんなところで寝続けていたのか。それとも一旦起きて、あのときの耳がどうこうの話のあとまたここで寝たのか。もっと意味がわからない。
 殿を見上げると、もちろん耳も尾もない。

「そう、ですねえ」
「そうだ。そんな暇があったらとっとと働け。忙しくなるぞ」
「まあ、そうですねえ。あ、殿、年越しソバ食べません?」
「食わん。いいから働け」

 夢って話にすれば一番簡単だが、殿が実際に耳だ尾だと言っていたし、本当に一瞬だけアッチの世界とやらに行ったということにしたほうが、おもしろいっちゃおもしろい。
 だが、別にどっちでもこれからの生活に支障はないので考えるのはここまでとする。







12/31
(tabulaで左近も三成の行った世界を体験しちゃったよ的な話)