未だにハンター試験は始まらず、考えることも億劫になってきたころ、すぐ近くにいた男の腕が消失するという事件が発生した。原因不明と思われたそれは、奇抜な格好、見たこともない髪色の怪しげな長身の男が行った手品だということが判明した。というのも彼自身、
「あーら不思議。腕が消えちゃった。気をつけようね。人にぶつかったら謝らなくちゃ」
なんてことを言っていたからだ。
ハンター試験というものはなんとおっかない。ちょっと人にぶつかっただけで腕が消えるなんて、と冷や汗をかいたのだが、手品だ。多分。俺の知識に追加されたピエロというものがあんな雰囲気なのだ。だから手品である(でなければ俺は叫ぶ)。
今さら死体がどうとか腕がない怖いという問題ではない。一応は俺も戦の経験はある。だが、ぶつかっただけで腕を落とされていたら命がいくつあっても足りん。が、一応、人にぶつかって謝らんというのは不義ではないだろうか、と思ったのでなにも言わないことにした。
「しかし、手品だったならば腕は元に戻るはずだよな?」
「え? え、ええ、まあ、そうでしょうね。手品ですし」
左近に同意を求めたところ、冷や汗をかいて頷いた。
いつまで経っても腕が元に戻る様子もないし、あれは本当に腕が落とされたと考えるしかない。ならば方法は。あのピエロのような男には武器を持っている様子はない。左近のように大きなものがあれば納得も可能だが、持っているものはトランプと呼ばれる薄っぺらい紙が一枚のみだ。
あれ一枚で人の腕を落とせるものなのだろうか。いくら考えても新しい知識は追加されない。だとすればあれはただの紙。紙で指の先を少し切るくらいは普通にあれど、人の腕を落とすなど滅相も無い、といったところだ。
ハンター試験というものは難関。単純に、猛者が集まるということか(ただし、人間離れした)。
あんな人間がうようよいるような試験で、果たして俺は通用するのだろうか。しないだろうな。俺は傲岸ではない。自分の実力をよく知り、客観的に比較する謙虚さくらい持っているつもりだ。
「しっかし、臭いますな」
「なにが?」
「血が」
辟易し、気分を悪くしたように口元を覆う左近の顔は蒼白である。単純に、俺よりも長く戦場に身を置いていた左近がたかが血の臭いでこのように青ざめるものだろうか。
現に、俺はなんともない。それに血の臭いなんて微々たるもので、気分を害するほどのものではない。
「……そうか?」
「殿は平気なのですか? この臭い、相当キツイですよ。それにこの空間、締め切っているせいか、こもっちゃってひどい臭いです」
今にも吐きそうな左近に、俺はなんと言っていいのかわからずただ黙っていた。
左近に言われてもそこまでひどい臭いだと思わなかったし、血の臭いだって気をつけなければ気付かない。しかし左近が嘘をつく理由もないし、なにより本当に吐きそうだったのでただ首をかしげることしかできなかった。
ともかく気持ち悪いのならば意識を別のものへ持っていき、そのことを忘れるのが一番だ。それか飲み物を飲む。先ほどトンパから受け取ったものもある。
なにか目新しいものはないかと周りを見ていると、白髪(というよりも銀髪)の少年を見つけた。
「おい左近、見ろ。子供がいるぞ」
「へ? ああ、本当だ。子供ですね」
「こんなおっかない試験に子供がいるのか。あ、見ろ。あっちは肌の黒い人間が。む、こっちには顔にたくさん針を刺している男がいるぞ。あれは、血は出ていないが痛くないのか?」
俺なりに気を使っているのだ。それが功を奏したのか、それとも左近は(またこの人は子供っぽいことを)なんて呆れているのかは知らぬが、曖昧に微笑んで相槌を打っていた。
そうやって周りの人間を見ているうちに、ジリジリジリという奇怪な轟音がこの空間に鳴り響いた。発生源は一人の男が持つベル。その男は自らを試験官と名乗り、一次試験の内容は自分についてくること、と言った。
そして、男は歩き始める。俺も左近も周囲に溶け込むように歩き始めた。
「ついてくるだけが試験だそうですねえ。意外と簡単なんでしょうかね?」
「そう判断するのは早計だな。仮にも難関と言われるものなのだ。それに、あの変な男がいる限り、安全はないな」
簡単かどうかはこの際置いておこう。安全度はあのトランプの男に近寄れば近寄るほど下がっていく。そして、他にも彼に近い実力を持つ人間がいる可能性も十分ありえるので、慢性的な安全度はとても低い。
そのうち、移動する集団の速度が上がってきた。どうやら試験官が歩を早めているらしい。そして、次第に走り始めていた。
どこまで続くのか、それがまったくもって不明であったため、俺は取り残されない程度に速度を落とす。
「おや、ゆっくり行くので?」
「行きたかったら勝手に一人で行くがいい」
「左近が殿を置いて一人で行くとでも?」
「……まあ、そうだな」
戦場での移動は基本は馬を使う。だが、馬が負傷した場合、またはなんらかの理由で馬を使えないときは走る。しかし、それほど脚力に自信はない。左近も、重い刀を持っているのだ。あまり飛ばすのは良策とは言えない。
デジャヴュと呼ばれるなにかを感じたが、それも思い出せなかった。新しい知識は勝手に頭に入ってくるというのに、なぜか過去がもやの中にある。それが薄気味悪い。友のことなどは覚えている。だが、いつどこで誰とどんな出来事があったのか。それが思い出せぬ。半分、記憶喪失というもののようだ。
「む、すまない」
速度を落としながら走っていると、後方にいたらしい人間にぶつかった。
振り返って相手の姿を目に留めると、黒髪が逆立っている少年の姿がある。よく見ると、先ほど見かけた銀髪の少年も隣にあった。
「大丈夫! こっちこそぶつかってごめんなさい」
少年は笑顔のまま、はつらつと答えた。好感の持てる人間だった。
俺は左近に常日頃『ありがとうとごめんなさいを言えるようにしてください。すまない、すまんは却下です』と言われているので、この少年の素直な純朴さが少し羨ましい。
なにより、雰囲気が他と一線を画している。この殺気で埋もれそうな空間に、この少年はなんの他意もなくサンクチュアリのごとく存在しているのだ。
「殿、『すまない』じゃないでしょう」
「……ぶつからないでくれて恩に着る」
大人の俺が、少年よりも礼儀がなっていないとでも言いたげに左近が口をはさんできたので、ムッとした。少年は大丈夫と言っていたし、気分を害した様子はちっともないのだ。済んだことをわざわざ掘り返す趣味は俺には無いのだ。
大きなため息をわざとらしくつき、左近は少年に深く頭をさげた。
「殿のご無礼申し訳ありません」
「左近、お前は俺のなんなのだ。お前の態度が俺に対し失礼だ」
そうは言っても、左近とは主従という上下の関係ではなく、同志という対等の関係であるので、あまり強くは言えない。
「大丈夫だよ。ちょっとぶつかっちゃっただけだし、俺もよそ見していたしね」
ついさっき、ちょっとぶつかっただけで腕がなくなった男がいたというのに、この少年は心優しいものだ。
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(エンジェルゴンゴン)